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 今回は、なかなか主役になる事のないイエロー・カード、レッド・カードの歴史について少し調べてみた。ずーっと昔からあるのかと思っていたが、その歴史は以外に浅い。

 イエロー・カード、レッド・カードを考案したのは、ケン・アストン(Ken ASTON)というイングランド人審判だ。彼は、1966年のワールドカップ イングランド大会で、審判委員長を務めた優秀な審判だった。

 カードを思い付くきっかけとなったのはウェンブリーで行われた準々決勝、イングランド対アルゼンチン戦を見ていた時だった。荒れた試合だった。

 審判委員長としてその試合を見ていたアストンは、主審を務めたルドルフ・クライトライン(Rudolf KREITLEIN)がアルゼンチンのキャプテン、アントニオ・ラティン(Antonio RATTIN)に退場を宣告する場面に出くわした。しかしラティンは退場の指示を拒否し、ピッチに居座り続けた。ドイツ人だったクライトラインはラティンを説得しようと試みるが、いかんせん、言葉が通じなかった。そして、試合はそこで止まってしまった。

 アストンは事態を収拾しようとグラウンドに入り、学生時代に習った片言のスペイン語でラティンを説得した。ラティンはようやく諦めてピッチを去り、やっと試合が続行できたのだった。

 この経験で国際試合における言葉の壁を感じたアストンは「言葉が分からなくても、審判の意図が選手に明確に伝えられる方法はないか?」と、帰りの車の中でずっと考えていた。やがてアストンの車は赤信号で停車し、アストンはハンドルを握りながら信号の赤い光をじっと見つめていた。その時アストンは、思い付いたのだった。「そうだ、信号だ!」彼は信号と同じように、黄色と赤のカードを使って、審判の意図を示す事を思い付いたのだった。

 その後、アストンはこのイエロー・カード、レッド・カードのルールをFIFAに提案し、68年のメキシコ・オリンピックから導入される事になる。採用されてすぐは、出されたカードを受け取って持って行こうとする選手がいたり、カードを出す判断基準がまちまちだったりと、多少の混乱はあったが、理解が進むにつれ、すぐに普及した。

 このルールは画期的だった。それ以前にも、警告、退場のルールはあったのだが、言葉で示すだけだったため、本人以外に伝わりにくく、国際試合などでは言葉の問題もあり、選手に伝わらない事もあった。

 しかし、カードを示す事で、素早く意図を伝える事ができ、警告を受けた選手だけでなく、敵、味方、監督、観衆、記録員にまで、たちどころに意図が伝わるという優れた効果があったのだ。さらに、言葉が不要となった事で、審判が毅然とした態度を示す事ができるようになり、審判の地位や権威を向上させる事にもつながった。

 66年のワールドカップで相手チームのラフプレーにより負傷したペレは「こんな荒っぽいワールドカップには、もう出たくない」とコメントしたが、彼もこのルールに肯定的だったと言われている。実際、ペレはカードの採用された1970年のワールドカップ メキシコ大会にも出場しており、堂々優勝の栄誉を勝ち取っている。これももしかしたら、イエロー・カード、レッド・カードがもたらした効用なのかもしれない。

 その後、当時は『一時退場』だったイエロー・カードが『警告』になるなど、徐々にルールが洗練されていき、カードその物も、ボール紙で作られていた物が、プラスティックに変わり、特殊な蛍光色のインクを使うようになるなど、より視認性を高める工夫がされ、現在に至る。

 こうして見ると、物に歴史ありだな、と思う。面白い事に、カードが生まれたイングランド国内では、カードが使用されるようになったのは1976年になってからだったらしい。さらに1981年から1987年の間には選手から「審判がカードを出し過ぎる」という苦情が出て、使用が見合わされていた事もあったという。フットボールの母国は、カードの母国でもあったのに、なんとも冴えない話だ。

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